視線恐怖症

視線恐怖です

 視線恐怖です

周りにいるひとの目が怖い。

何故なのかわ分からない。

それは、何かの裏返しなのではないのか。

ほんとは、心の奥底で「ひとを憎んでいる」のではないだろうか。

人を憎んているので、逆に、その場にいる周りのひとの目が気になるのではないのか。

とね。 

この際の何かの裏返しとは

例えば、クラスで好きな女の子がいた。

好きな女の子の気を惹きたくて、返って意地悪をしてしまうなど。

気を惹きたいけど、返って嫌われてしまった。

こういう事象を裏返しといってみた。

これ、例えですよ。 

周りにいるひとの目が怖い

それは、何かの裏返しなのではないのか。

ほんとは、心の奥底で「ひとを憎んでいる」のではないだろうか。

憎んでいないとすれば、恨んでいるのかもしれない。

こころの底のどこかで。ひとを恨んでいる。

潜在意識の中にあるのかもしれない。

恨み感情があるのである。

このような解釈の仕方があっても良いのではないか。

どうだろうか。 

あるひとは、それは被害妄想というかもしれない

いずれにせよ、精神異常な部分ありますよね。

ひとのこころは複雑である。 

部分的な精神異常は、正常な人なのだ

そうです。

まったく異常のないような人間などいないのだ。

そう思えば良い。

自分のこころが救わるから。 

では、自分はどうすればいいのか

では、自分はどうすればいいのか。

どうすれば楽になれるのだろうか。

周りのひとの視線が気になってどうしもない苦痛があるのです。

その原因は人を憎んだり、または恨んだりしている自分がいるとするならば。

その逆をしなければならないと思うのだ。

憎んだり恨んだりの逆とは。ひとを愛するってことでしょうか。

きっとそうだろうと思う。

では周りにいるひとを、愛する気持ちに切り替えるとは?

人を愛するとは、どうすることだろうか。

ひとを愛するのである。

自分以上に、ひとのことを愛するのだ。

では、実際にひとを愛するとはどうすればよいのだろうか。

愛するとは、ひとを大事にするということ

愛するとは、ひとを大事にするということか。

おそらくひとの気持ちを大切にすることである。

言うは易く行うは難し。

では、ひとを大切にするとはいったいどういうことなのか。

どうすれば、ひとを大切にしていることになるだろうか。

まずは、小さなことから始めてみようと思う。 

千里の道も一歩から

千里の道も一歩から。

この先の道のりはとても長いのです。

まずは、目の前の一歩を踏み出すことです。

まず、一歩進みましょう!

何年も何十年も続きます。

継続は力なり

何年も何十年も先は長い。

焦ることなく構えてくださいね。

継続は力となって貴方に蓄積するのですよ。

少し、相手が喜ぶことをしよう

ほんの少し、相手が喜ぶことをしよう。

朝の挨拶、「おはおう」これでもいいじゃないか。

それが、できるのならば次のステップへ進めばよいのだ。

次は何ができるだろうか。

ひとから何かしてもらったら「ありがとう」これで良いのではないのか。

ありがとう。

「笑顔」を言葉にプラスする

そして大事なことは「笑顔」を言葉にプラスすること。

笑顔というものは、ほんとにこころからでないと自然な笑顔になれないものである。

笑顔が大切と言っても、そうわ簡単にはできません。

作り笑いでも良いのですよ。

作り笑いでも、それを続けていればもっと自然に笑顔ができるようになると信じて。

です。

次は「しぐさ」で相手を思いやるのです

笑顔が出来つつあれば、次は「しぐさ」ではないのか。

相手を思いやるしぐさとはなんだろうか。

ちょっと手を添えるとか。

何に添えるのか?

例えば、顎に添えるとか。

顎は、例えばの話ですヨ。 

例えば、顎に添えるとか

例えばの話です。

ほっぺに両手を添えるとかでも良いかもしれない。

相手が、ほっとするようなしぐさが必要なのです。

ですからあなたが、思うことをしぐさにすればいいじゃないでしょうか。

ひとそれぞれ感情が違いますから、しぐさは違って良いのですよ。

ひとを大切に思う「自分のこころ」を育みましょう

ひとを大切に思う「自分のこころ」を育みましょう。

最後に、これを言いたかった。

です。 

視線恐怖症の対人恐怖症

自動車を運転すると、対向車のドライバーの目が気になってどうしようもないのです。

辛いですよコレも!

視線恐怖症の対人恐怖症ですね。

対人恐怖症歴50年男性です。

ここまで読んで下さり有難う御座います。

 

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