もくじ
対人恐怖症はとても辛くて生きる希望が見いだせない
では
「どうしたらよいのだろうか」
そうです、あなただってそうやって自分に問いかけますよね。
それも、いますぐどうしたらよいのだろうか?
いま、何ができるのだろうか。
もっといえば、今すぐ楽になりたい。
いますぐ楽になる方法は何だろうか。
それは、どこにあるのだろうか。
対人恐怖症は辛くて苦しいです
「溺れる者は藁をもつかむ」ということわざあります。
いま対人恐怖症で辛くて苦しんでいるひとは、まさに「溺れている」状態なのだと思います。
これは、例えの話ですよ。
実際のこと、水に溺れたら誰かに助けてもらわないと死んでしまいますよね。
でも、対人恐怖症で辛くて苦しんでいる場合は、物理的な水というものが存在しないので息が止まって死んでしまうという緊急性はないのかもしれないです。
対人恐怖症と言う病気(または障害)は、目に見えない「水?」みたいなものの中で溺れているようなものでしょう。
いったいその、「水?」みたいなものは、何であろうか。
その実態を探り当てて、それに対処する方法を見つけ出せれば楽になれるはずですよね。
いいですか。
もう一度言います。
目に見えない「水?」みたいなものがあると言っているのです。
もうちょっと砕いていいます。
メニミエナイ…「水みたいなもの」
「水?」は、目に見えないものなのです。。。
ですから、今日からあなたは変わる必要があります。
見えないものを信じようとしない狭い意識のなかで生きて行くのは無謀なこと
目に見えないものを信じることができる、こころの器をもたないといけないのです。
見えないものを信じろと言われても、にわかに信じることはできないかもしれないですが。
目に見えないもの、それはあるのです。
ただ見えていないだけなのですね。
現実世界でもよくある事象ですよ。
家を一歩外に出ると、その四つ角には、民家の壁があったとします。
そうすると、壁に隠れて見えないだけでそこには誰か立っているのかもしれません。
わかるでしょうか。
隠れて見えていないのです。
それを、見えないから誰もいない!と言えるでしょうか。
そこに、人が立っているかどうかをしっかりと確認できないうちは、誰もいないのだと言えませんね。
それで、確認したらいたのです。
隣の奥さんが「ゴミ出し」して家に戻るところだった?
なんてことは普通にありますよね。
すみません。
たとえ話が変でしたね。
目に見えない世界からの「なんらかのエネルギー」が働いている
対人恐怖症で辛くて苦しい毎日を送ることになる原因は、目に見えない世界からの「なんらかのエネルギー」が、辛くて苦しいあなたに届けられているからなのです。
何を言っているのだ?
おまえはアホか!?
そんな風に思われても、私は構わないです。
真実はそういうことなのですからね。
私も過去50年程度対人恐怖症で辛くて苦しい歳月を経てきました。
そんじょそこらの辛さ苦しさではありませんでした。
誰しも、自分の辛さや苦しさが、この世の中で一番大きいのだと思い込んで生きて行きたい生き物です。
そりゃ、自分が一番かわいいのですよ。
私は宗教家でもなければ霊的世界の専門家でもありません
そこらにいる普通のおっちゃんです。
50年もの間、私はただただ毎日を辛くて苦しくてだけを感じていたのではありません。
この辛さ苦しさをなんとかできないものかと、必死になってもがいていました。
どうやったら、この苦しい暗黒世界から這い出ることができるのだろうか。
それである日のこと「自分は、先人になるんだ」と覚悟を決めたのです。
後から出てくるであろう「対人恐怖」で辛くて苦しい思いをしなければならない人のこころをお救いたい。
そんな自分になりたい。
そんな思いは必死でした。
そう思うことで、ほんの少しは和らいだのです。
50年は学びの連続であった
少しづつ、当ブログでお話していきたいと思います。
どうか、信じてついてきてくださいね。
信じる者は救われる可能性は高いです。
続く。