こんにちは
今回は笹ケ瀬さん(仮名20代男性)による手記です。
辛いですね対人恐怖です。
恐怖を感じないひとには理解してもらえません。
この辛い気持がわかる貴方と共有してみましょう。
少しでも、周囲の理解者が増えるとよいですね。
では、どうぞ。
お菓子を買いに行くのでさえ
「対人恐怖のここが辛い」、そう問われて真っ先に思い出す出来事は、買い物や交通機関の利用ができなかった事です。
学校での苛めと家庭内での孤立によって人間不信になっていた自分は同級生と路上で遭遇したくない一心で、外に行く事を拒絶していました。
とはいえ育ち盛りだったため三食の食事では足りず、お菓子が欲しくて欲しくて仕方がなかった事を覚えています。
けれど先述した遭遇を忌避する気持ちと、そしてコンビニやスーパーに赴いた際に想定される周囲の反応を想像して怖くて、気軽に行ける場所なのに行けませんでした。
そこで自分が取った手段は寂れた店に赴く事です。
いわゆる高齢なおばあちゃんやおじいちゃんたちが経営している商店で、そこで販売されていたお菓子を買ってそそくさと逃げるように帰っていきました。
予想通り同級生たちには遭遇しなかったものの、少し怪訝そうな店主の表情を見て恐怖とともに惨めな気持ちになったものです。
電車に乗るのが怖かった
それから交通機関も利用できなかった事は精神だけでなく、身体的にも辛いところがありました。
当時自分は二町離れた塾に通っており、最初はそこへは電車で通っていたものです。
ところがある日電車を待っている間に苛めっ子たちと遭遇してしまいました。
彼らの陰口に耐えなくてはならない時間を味わう羽目になってしまいました。
それどころか電車の客からも「こんな時間に遊びに行くなんて」という囁き声を聞きました。
それは偏見と誤解なのですが。
それからというものは、電車に乗るのが怖くなって数年間は駅へ足を運ばなくなったほどです。
余談ですが、数年間も駅を利用しなかったせいで切符の買い方や乗車の仕方を忘れてしまったのです。
一緒に駅に行って親にレクチャーしてもらわなければ分からないほどになってしまいました。
塾通いが辛い
そんな事があって電車の利用を止めた自分ですが塾には通わなくてはなりません。
バスにも同様の恐怖を抱いていた自分にとって頼りだったのは親が所有する車での通いでした。
ですが、親にも仕事があったので時間が合うはずがないのです。
そのため自転車での塾通いを始めたわけですが、二町も離れていたら汗だくになります。
実際に次の日には足が筋肉痛になりました。
筋肉痛になっても、あの嫌な体験と恐怖を味わうぐらいならマシだと思っていました。
しかし身体は正直なもので、およそ数か月しか続かなかったです。
結局は親の都合が良い休日に、塾に送ってもらい通う事にしたわけです。
あまりにも辛い 未来が見えない
そんな対人恐怖症はまだ治っておらず、「今後どうすれば」や「今後の見通しは」と問われても答えはでませんし、ありません。
そもそもこんな恐怖を抱えて生きているのに必死なのに、未来の事を問われても正直言って腹が立ってしまいます。
対人恐怖の辛いのは、日常生活面でもたくさんあります。
そして、いま「未来を語れない事」も辛いことになるのでしょうか。
私には辛いことがあまりにも多すぎて、未来を見つけ出せる状況ではないのです。
まとめ
・学校での苛めと家庭内での孤立によって人間不信になっていた
・お菓子が欲しくて欲しくて仕方がなかった
・自分が取った手段は寂れた店に赴く事
・電車に乗るのが怖くなって数年間は駅へ足を運ばなくなった
・筋肉痛になっても、あの嫌な体験と恐怖を味わうぐらいならマシだ
・辛いことがあまりにも多すぎて、未来を見つけ出せる状況ではない
以上です。