
まえおき
私が特別に仲良く365日しているものは、一般に神経症といわれている。
そしてその中の対人恐怖症である。
別に、仲良くしたくてこうなっているのではない。
それはそうですよね。こんな辛い体験を自ら進んで受け容れる人はあり得ません。
私が中学2年の時です。あることがきっかけで、人の視線が気になって仕方なくなったのです。
これから少しづつお話ししたいと思います。いろいろなお話があります。
対人恐怖症を分類分け
その前に、対人恐怖症をかんたんに分類分けしておきたいと思います。
ブリタニカ国際大百科事典より、かいつまんで引用したいと思います。
対人恐怖にも、いろんな形態があるようです。
赤面恐怖、視線恐怖(または正視恐怖)、発展すると醜形恐怖、大衆恐怖、自己臭恐怖などです。
青年期、とくに中学から高校にかけて多くみられる神経症の一種であるとされる。この私がそうでした。
人に会うと極度の不安と精神的緊張が生じ、そのために軽蔑されはしないか、嫌がられはしまいか、他人に不快感を与えるのではないかなどと悩み、対人関係を避けようとするものである。
一般的な対人神経症では、対人場面で緊張し、話ができなくなるといった程度である。
それが、ひどくなると視線恐怖 (または正視恐怖) 自分が人にどう見られているか、ということが問題になるが、それが「自分の視線が他人を不快にする」といった、加害者意識に発展する。
深刻化すると、患者が確信し訂正不能な自我障害になるが、人格が荒廃することはなく、日常生活は何とか送っている。
書いてあるその通りである。
若いころはノイローゼ状態になりました。
当事者のみ理解できる辛さ
今生きているのが不思議なくらい悩み苦しみのたうち回りました。
このことは端的に言いますと、その人でないと絶対にその「苦しさ辛さ」は理解不能であるということです。
この対人恐怖というものは、それに関係ない人には全くといって良いほど「理解できない」キョウフである。
このことは、とても不思議に思っている。
自分が視線恐怖なので、視線恐怖症の気持ちは良くわかります。
当たり前ですよね。
そんな私でも、赤面恐怖とか、醜形恐怖などの他の恐怖症の気持ちは、まったく理解できません。
ただ、そうかもしれないな、「たいへんだな」くらいなものです。
もっと言えば、なんでそんなつまらないことで悩むのかな?おかしいな、不思議だなとさえ思えます。
自分の視線恐怖も、それくらいに思えれば良いのですがそうではありません。
私にとって、いまのところ赤面恐怖とかは他人事のようです。
日本人に多くみられるとされる。
外国人には、みられないと言われるようであるが、私の考えるところでは、外国人でも一定数は必ずいるはずである。
必ず!
同じ地球上に生活している同じ人間なんだもの、外国人であっても対人恐怖のひとは、いるのが当然のことであると思っている。
蜘蛛恐怖症・カエル恐怖症
事例は違うが、例えば「蜘蛛」を見ると異常に恐怖に感じるひとがいることを私は知っている。
その人の場合、蜘蛛を見たとたん、心臓が止まるほどの恐怖を感じるのだそうである。
いくらなんでも大袈裟ですよね。
そのひとでないと分からないですね。成人した大人がこうなんですよ。
誤解のないようにと前置きしますが、その人は見た目は「やくざの親分」みたいに強面なんです。
例えば「オイ」なんて言われたら飛び上がりそうな程の強面のひとです。
私からみたら、そのひとのほうがよっぽど怖いですし、近づき難いのですよね。
他に女性ですが、「カエル」が絶対だめなひとがいます。
絵でも写真でもダメです。
カエルという言葉を聞くだけでも心臓がバクバクするということです。
何故そうなるのかは、分からないと言っています。
このようにとても嫌がりますので、その人の前では、電話でも「カエル」は禁句です。
恐怖の原因は輪廻転生なのか
さて、最後に「どうしてそのように恐怖に感じるのか」です。
原因は何か?なんでそんなに恐怖に感じるようになってしまったのかです。
とても不思議ですよね。これは、輪廻転生に深く結びついているのだと思っています。
もっと言いますと、生まれ変わる前の世で、生きていた時代の何かを引き継いで今世生まれてきたということです。
例えば、津波で亡くなったひとが、生まれ変わると「水」を見ただけで心臓が止まるほどの恐怖を感じるということではないでしょうか。
想像してみると、なんとなくそうかもしれないなと思えます。
生まれ変わる前の世で実体験した、何らかの恐怖が潜在意識の奥まったところに隠されているのではないのか。
この輪廻転生を前提にしますと、私たちは生まれ変わるのです。
生まれた自分は、前の世で起きたことは、まったく分かりません。
けれでも、深層心理のどこか深くに、前の世の記憶が埋め込まれている。
その記憶が、今の世である特定のものに対して恐怖を感じさせているだろうと。
真実は、そのような形ではないのだろうか。
そうであるならば、恐怖のあまり生きづらさを抱える自分たちはどうしてゆけばよいのだろうか。
どうやって、解決してゆけばよいのだろうか。
ゆっくりと続く。