対人恐怖症からの脱却私の治療法

高校一年生のときに脇見恐怖が現れました

加藤さん(仮名20代女性)からの体験記です。

私は高校一年生のときに脇見恐怖が現れました。

一年ほど下を向いて頑張って登校しました。

授業中では半分寝ながらでした。

脇見恐怖のせいで寝ているしか耐えられなかったのです。

それで教室にじっと座って授業をうけることに極限がきて中途退学してしまいました。

それから先は、真っ暗な人生に失望したまま5年くらい引き篭もりしていました。

そんな自分を断ち切ろう

いろいろとありましたが、そんな自分を断ち切ろうと必死になって努力しました。

その結果、いまは社会生活に出て二年ほど経ちました。

その二年の努力で、赤面恐怖、キョドリ、自己視線恐怖に過呼吸など、いくつかの神経症が治癒しました。

脇見恐怖も完ぺきではありませんが、大分改善しています。

今は、人と並んで食事したり、コミュニケーションを取るくらいは何の問題もなくなりました。

なので、普通に生活しているひとと同じ程度になれたのかなと思っています。

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対人恐怖症なので出来ない事

今出来ない事は人と並んでテレビを見て楽しむことです。

またデスクに座って両脇に人がいる所で仕事をしたりもできないです。

それから人を助手席に乗せての運転とか、自分の視界に人が入るとカラオケが歌えないといったことです。

対人恐怖は改善しているけど、これらのことまでは克服できていないは事実です。

私は二年で対人恐怖の引きこもり状態から脱出できたので、ほんとうは自分の経験談を事細かに解き明かしたいと思います。

けれど、それを私がすると、やっぱり完治しないではないかと不安に思うので、事細かには書けないけれども、記したいと思います。

これは、色んな所で聞く話ですが、「治そうと考える事が一番ダメ」だと思うからです。

治そうと考える事ことを忘れて、他の人と一緒の生活をする事が一番の早道だと思うのです。

そうはいっても、自分の出来そうなところからやり始めるのが良いと思います。

少しでいいんだと開き直って、引きこもり状態から脱出するのです。

私の苦しい状態になっている時は人生先が真っ暗で、どう生きていけばいいかもわからず、怖くてたまらなかったです。

自殺を企てる人がいるのもうなずけてしまうのです。

対人恐怖症の当事者として、病気になっても毎日を過ごせるんだ、人生はうまくいくんだっていう私の体験を記しておきたいと思いました。

これを目にして、一人でもたくさんの人に夢を与えたいと思うので、私がどういったやり方でここまでよくなったのか、その手法を綴りたいと思います。

マジで完治させたいと思う人は、ぜひ読んで参考に頭に入れてみて下さい。

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あなたのキーポイントとなる事がいっぱいちりばめられている

長い文章となると思いますが、これらの中に、あなたのキーポイントとなる事がいっぱいちりばめられていると思って記しています。

いまの貴方と比べて、色々気づいて頂けたらなと思います。

まず、発症当時、私の対人恐怖症レベルは尋常ではなかったと思います。

脇見恐怖もそうだけど、あらゆる神経症に罹患していました。

まともに外に出る事も出来なくて、コンビニで買い物をするだけでも、例えばお金を払う時いたずらに手が震えお金を落としてしまったりしたのです。

自己視線恐怖と脇見恐怖は異なるものだ

私は、自己視線恐怖と脇見恐怖とは異なるものであると思っています。

何故ならば自己視線恐怖は快復したからです。

自己視線恐怖とは、自分の視線をどこにおいたらいいのか常に困り、人がいるだけで常にすさまじい緊張と疲れがつきまといます。

なので、人のいる場にいる事自体が困難になります。

今はそれが一切ないので、電車などにも快適に乗れます。

今は目を開けて座り込んでいれます。

そんな私は以前は外に出れなかったのです。

外どころか、同じ部屋で家族と一緒に寛いでいるのもできませんでした。

学校が嫌でたまらなかった

発症理由はうっすらとわかるのですが、高校生だったとき私は人とふれあう事をせず、授業中も休憩時間もただひたすら時間が過ぎるまで眠ってました。

特に将来の夢などもありませんでした。

学校が終わると帰りまた少し寝て、目覚めてからは当時好きだったアイドルの録画したビデオを見る事が楽しみでした。

あとポップス音楽が凄く好きでそれも聞いていたくらいです。

ただただ毎日そんな繰り返しでした。

そんな中、対人恐怖を発症してしまい更に引き篭もってからはパソコンを始めました。

ただただ現実逃避してネットばかりを楽しんでいたのですが、症状は悪化する一方でした。

ずっと逃避していましたが、ある日潜在意識系のサイトに出会い、それをきっかけに自分の人生や世の中の真理ということを深く考えるようになりました。

心理学や哲学に関心を持ち、更に神学系の書物を読むようになりました。

世の中の真実について勉強することになりました。

それからです。

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自分の現況は自分のこころがつくったものだ

私の生きる事に対する考えが変わりだしたのです。

『やればどんな事だって可能なんだ。』

自分の現況は自分のこころがつくったものだ

など、色んな事が洗脳とかじゃなく論理的に認識できるようになり、初めて自分の人生に夢を持つようになりました

「素敵な恋人ができたらいいなとか、結婚したいな」と大きな夢を持ったのです。

それを実現する為には、まずはお金が必要でしたし、社会に出ないと始まるわけがないです。

それから、勇気を振り絞ってバイトの面接を2~3個うけたのです。

別に自己視線恐怖でも脇見恐怖でも、できる仕事はいっぱいあります。

けれどもこれまでの私は、「接客は合っていないからやりたくない」とか「厨房ならしたいけど脇見恐怖だから隣に人がいては無理」とか、結局脇見恐怖でも出来る仕事だと思いますが、受けることはなかったです。

そこまでして働く理由も無かったと思ってました。

それに、接客業等でもそれなりに自己視線恐怖や脇見恐怖は出るかも知れないし、実際勤めたら想像以上に人の中にいるというのが苦痛だろうと不安でしたから。

面接を受けても、面接官の目を見られないし赤面して、キョドるしで、どれもこれも落ちました。

人と並んでしなければならない作業系の仕事は、ぜったい出来ないと思うので、受けるのはどうしても接客系になりました。

そもそも接客のお仕事だから、面接してもこんな人間落とされます。

そうでなくとも欝でやる気があがらないのに面接で落ちたりしたから、本当にもう社会に出れないのかと落ち込みました。

 近所の居酒屋でアルバイトを募集

その頃、近所の居酒屋でアルバイトを募集していると聞いたので、思い切ってもう一度受けてみました。

この前の面接では「あなたは笑顔がない」とか言われたので、すごい笑顔で勢いつけて、必死に面接うけました。

で、「よしっ笑顔あるしな」と言われていて首尾よく合格です。

後に聞いた話では人がいなくて困ってたってのもあったようです。

私は昔から人の前が凄くこわかったし、仕事するってどういう事なのか想像も付かなかったので、とにかく怖くてしょうがなかったです。

ただでさえ、極度の対人恐怖を患ってたわけだし、人と接するのは数年ぶりだったし。

一番初めのバイトの日は、恐怖を通り越してもうどうにでもなれと開き直ってました。

あんなに勇気っていうものを使った日はなかったです。

最初はやっぱり神経症は出まくり

最初はやっぱり神経症は出まくってました。

料理が出され、それを取って持って行くわけですが、隣に人がいると物を取るのも不自然な感じで、脇見恐怖でまくりなので仕事の一つ一つがたどたどしくてどうしようもなかったです。

接客すれば赤面にキョドりで駄目だったしです。

アルバイトを始めて2~3日間は、人や居酒屋の慣れない大きな音すらも耳に残って頭の中がうるさくて中々就寝できなかったです。

治療に必要なものを2つ頭に思い浮かべていました

1つは、とにもかくにも動く事

私は引き篭もってる間、いくつもの神経症HPは見たし、わたしなりに神経症についての探究をして、なんとなくですが治療に必要なものを頭に思い浮かべていました。

その中の一つが、〝とにもかくにも動く事”つまり、動物に戻る事です。

自己視線恐怖だけじゃなく数々の神経症は、やはり人により原因はいろいろで、たとえば精神的に何か酷い心理的ダメージを受ける経験をした為に発症する人や、自分を精神的に追い込むような何か困難な生活をやり続けた人などもあるでしょう。

多くは私と一緒で毎日ただ一人で引きこもって不健全な毎日を続け、動物をあきらめてしまった人間が患ってしまうものだと考えるのです。

そういった人間は、体も心もまずは健康な状態に自分をリセットしてあげることが必要です。



もう一つは、人とふれあう事

コミュニケーションを取り、人と沢山交流する事。

時には悩み相談とかでもよいでしょうし。

時には下らない会話もいっぱい必要になるでしょう。

良い人間関係作りには、それらが潤滑油として機能するからです。

カウンセラーも対話を重要視しますが、人の心には人との対話がとっても効くからです。

話す、という事はとても重要

会話は心のストレッチ体操だと言えます。

会話は心の凝りを解す効果を発揮します。

何より、自分一人の殻からぬけ出て、健常者の状態に影響を受けていく事ができるから、会話というのはとても大事なことです。

それで、居酒屋はその両方(動物になることと、ひとと会話をいっぱいする)に効く良い場所だと思ったのです。

良く動くし、空いた時間はよく話すでしょ?

お客さんとのコミュニケーションも良くとるし。

その上、私の面接した居酒屋は最近多い個室居酒屋なので、お客さんの目というか自分の視線が気になることがない。

これだったら働けるって感じたのです。

それで、とにもかくにも頑張って一年続けました。

丁度、とてもよく会話する子がいて、その子とは本当にペチャクチャと話しました。

最初は、話すのが嫌だったけど、その子との会話はとても治療になったと思ってます。

沢山笑ったし、沢山人生についてなども話したし。

ずっと引き篭もって気が滅入った精神状態になってた私は、自分がどれだけダークな精神状態なのかっていうのに、気がついてませんでした。

その状態が普通だから気がつかないものなんです。

だけど、神経症患者の人達は、まずそこに気が付くことが重要です。

健常者から見て、どれだけ陰気でジメジメしてるのかということに。

ジメーっと、自分の神経症についての暗い話ばかりしているだけでは、一向に良くはなりません。

自分の過去だの、なんだのに無理やり原因を見つけ、あれがひどかっただのああすべきだっただの、過去の自分を癒してどうだの、そんな自己満足的な療法に拘る時間がありましたら、外に出て、人と下らない話を沢山して下さい。

下らないコミュニケーションを沢山取り、いっぱい笑ってください。

スタート時それが私はとても嫌でした。

バカ騒ぎが嫌いでしたし、お酒の席でも全然楽しくないし。

「自分はこんなにシリアスな問題を抱えてるのに、あなた方気楽でいいですね」という様な捻くれた視線でいつも見てたからです。

「自分はこんなにバカにはなれない」みたく。

けど、そういう事を思ってるうちは治りません。

一年居酒屋を続けていたんですが、ほんとその一年は本当にきつくての毎日でした。。

辞めたい事もたくさんあったし、仕事もマッチしてなかったですし。

けど、かろうじて続けた結果、神経症もずいぶん楽になりました。

そんな職場にも慣れ、不愉快な先輩もいつの間にかいなくなってました。

そうなると私自身が上の立場になっったので、職場の様子が改善されました。

その頃に、私は次の仕事に転職したのです。

1ステップクリアしたので次へ

自分の夢の為には、もっと稼げるところでないとダメです。

そうして転職したところは、パチンコ屋です。

パチンコ屋の面接を受ける時も、物凄く恐かったし不安もたくさんありました。

ですが居酒屋での経験がありましたので、スッパリと面接することにしました。

その面接でも、ひたすら一生懸命に受けました。

私が出来る仕事なんて限定されてるからです。

不思議なことに一生懸命受けたら、友達が落ちて私は受かりました。

頑張ってみるもんですね。

受かったのは良いのですが、ここで一番困ったのは、休み時間でした。

テーブルを長椅子が囲んだ状態で、みんな座って休憩するんです。

おまけに一時間に一回と休み時間がめぐってくる。

自己視線恐怖と脇見恐怖がつらかった私は、ともかく本当にどうしていいか思いつかなかったです。

居酒屋の時は、人が視界に入ってきたら嫌ですが立ち位置変えると良いだけなので談笑するのは困らなかったけど、このように同じスペースに何人も座って話すのは無理だったんです。

ご飯も一度も取らなかったです。

休み時間はいつも隅に座り、いつものようにみんなと逆の壁に向かって目をやってました。

周りのひとからしたら感じ悪いですよね。

それで、ますます打ち解けれない。

それから、朝礼と終礼。

全員並んで、上司の大事そうな話を聞かなければいけないのです。

上司の話だから明後日の方を向いてるわけにいかないし、ほんとにこれは最初苦労しました。

いつも隅の場所に立ち、上司がこちらに目をやった時だけどうにか見返して相槌を深く打って、毎日その繰り返しで乗り切りました。

その件もあったし、スロットの目押しもやり始めた時は困りました。

お客様の目線の高さで横に並んでスロットの絵柄を揃えなければいけない。

そうでなくともずいぶん難しい事なのに、脇見恐怖でまくりで集中できず何度も失敗し、客はイラつくしで上司の目もキツいしで、辞めてしまうしかないのかなとまで悩みました。

けれども、人間追い詰めれらるとどうにかなるものですね

絶対に失敗できないと思ったら、目押しに集中できるようになり、お客がどうとか脇見恐怖がどうとか考える余裕もなくなり、現に脇見恐怖も出なくなったんです。

一日何十回もあったというのも、気にしなくなった理由かもしれません。

ここで一つ、私はむしろ治療になるはずだと思った事があって、それは休み時間のコミュニケーションです。

居酒屋以上に、ホントに色んな人と話さなければいけませんでした。

休憩中は2人きりだったり3人だったりですがコミュニケーションタイムってな感じだったのです。

話す事を強制でもされない限り、私は自分から人とコミュニケーションを進んで取らなかったと思うので、これは良いきっかけだと思いました。

レベルの高い接客を要求されていたので、毎日自分の仕事を夢中になってやるのが精一杯で、神経症というのを悩む時間というものはありませんでした。

帰ったら疲れて寝てしまった。

外の事で悩むのは、かなり重要な事

社会に出たら、必然的にいくつもの悩みがあらわれます。

仕事もそうですし人間関係や恋愛のことなど。

そうなってくると、神経症が考察されたりその事を苦悩したりしている時間がなくなるし、そういう事忘れてしまいます。

ここでは人間関係も大変だったし、仕事自体居酒屋なんかよりもっと面倒な一年でしたけど、その一年が私を変えてくれました。

自分で自分自身を強くしたのですよね。

最初は過呼吸が出たり、倒れた事も何度かあったのですけど、それも全くでなくなりました。

冒頭の部分で挙げた殆どの神経症は治り、今では脇見恐怖だけです。

2年前の私からしたら、想像も付かないくらい、びっくりするほどの変化です。

一番ありがたいのは、人が沢山いる場所でも何の問題もなくなってきた事です。

電車に乗ることや、みんなでの食事だったりです。

今日ではほとんど違和感はありません。

以前は電車の中で目をつぶっててもまわりのイメージが気にかかって、家の外へ出るだけのことでヘトヘトに疲れまくっていたんです。

ホントに、日々改善されています。

同じ部屋で家族と一緒にテレビを見れるようにもなったのです。

ただし、位置的に自分がちょっと前にいないとダメですけどね。

人といれるようになれば、それが治療になりどんどん良くなります。

とにかく人と一緒にいるのが大事なんです。

パチンコ屋での休み時間も、やり始めの頃はいつも隅に座り明後日の方を見ていたのに、1年後にはみんなのまん中に座り脇見恐怖とかなく談笑できるまでになったのです。

肝心なのは、どちらにせよ精神状態だ

肝心なのは、どちらにせよ精神状態だと思います。

人の中に楽しく入れることになったら、神経症とかも治るって事が判りました。

それには、心を開いていかなければなりません。

心から、人を好きになり、人との時間を楽しいと思えるようにならないといけないのです。

メンタルの凝りを解きほぐす事が、治療になります。

こうして人と心から楽しく会話するには、自分は神経症だっていうダークな悩みが心の中にあるうちはだめなのです。

けども、会話しないとしたら凝りは解れない。

この不可思議な数式を解くには、いま神経症のまっただ中であっても、その事を一旦隅に置き忘れて気にせずに、人といっぱいふれあうことが求められると思います。

私が言いたいのは、社会不安障害のひとでも社会に出れるし、問題なく生きていけるし、絶対に良くなっていくという事をお伝えしたかったのです。

私のように出来ない事も出来るようになってくるんです。

ここまで読んでくださり本当に有難うございました。

長文失礼しました。

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